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承前 カバーに記されている著者=白石雅彦のプロフィールに目をやると、“1961年秋田県生まれ”僕とほぼ同年輩である。しかるにリアルタイムで知っている円谷一のシゴトはウルトラからという点ではホボ同列といえるだろう。それは同時に円谷一晩年の大事業の恩恵を実感できる最後の世代と呼んでも過言ではあるまい。円谷一は1973年2月9日脳溢血によって帰らぬ人となった。その翌々年の「ウルトラマンレオ」で第2期ウルトラマンシリーズは終幕した。 それを報じた毎日小学生新聞の記事の一節が、今も鮮明に思い出される。“あなたたちが大人になってお酒を飲んだとき、ウルトラマンの歌をうたいだす人もいるかもしれません” 実際はその希望的な予想をはるかにこえ、ヘタすると孫をひざにのせてウルトラマンのビデオに興じる者すらいるかもしれない。それもこれも70年代前半に築かれた礎あったのことだろう。いや極論を言うならTV極主導の企画に話題の集中をみている感のある日本の映画事情そのものが、かって“ホンペン”を自称し新興勢力だったテレビジョンを蔑視していた日本映画界そのものが円谷一が力を注いだ“テレビ映画”に取り込まれてしまっているようでさえある。テレビ映画同書の終盤“第3章 円谷プロ再建~早すぎる晩年”のあたかも己の寿命を熟知しての、いきいそぎともとれそうなエネルギッシュな円谷一の行状に鬼気迫るものを感じざるを得ない。 あとがきによれば同書の取材は2003年に始まり2005年の1月に終了したとある。同書の為に貴重な情報や思い出話を提供し(協力)として奥付に列記されている名前をあらためて見てみると青島幸雄にはじまって実相寺昭雄、宮内國郎・・・。この秋以降鬼籍に入ってしまった人々の証言がキモともいえる重要性を帯びているのに驚かされた。最後に付記として取材終了後の別取材における「カネゴンの繭」の脚本家山田正弘との出会いに数行がさかれている。まさにタイムリミット、ギリギリの線で完成に持ち込まれた一冊だった。
by oka-cpc
| 2007-01-06 15:15
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